開業直後、重役陣も保険に加入しようということになり、医師の診査を受けました。診査の結果、保険料の割増し条件がつけられて不平を言う者もいましたが、当時の片岡直温副社長(のち第二代社長、大蔵大臣)は、「重役から保険の根本主義を壊しては…、堅実に経営することは出来ない」と力説して納得させました。診査医についても、各地の名医を揃え、厳格な診査をモットーとしました。
また当時、生命保険は世の中にほとんど理解されておらず、片岡は職員と共に、交通網が発達していないなか、全国各地を奔走しながら地元の有力者などを代理店として保険募集を進めました。このひたむきな情熱は「馬車馬主義」と呼ばれました。
厳格な診査と馬車馬主義は、保険事業の基礎となる健全な被保険者集団をいち早く形成することにつながりました。1892(明治25)年、当社は保有契約高500万円を達成し、祝賀会と開業式を兼ねた祝典を開催しました。開業して3年、経営が軌道に乗るのを待って開業祝典を挙行したことは、当社の堅実性の表れとして人々に感銘を与えたといいます。
創業期の役員・職員たちの努力は、着実に会社の基礎を固めることにつながっていきました。開業から10年後には、保有契約高で先行の保険会社を上回るほどとなったのです。