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バスケットボール
車いすバスケットボール

2025年7月16日(水)「DREAM HOOP PROJECT」を千葉県千葉市で開催!

バスケ選手が講師となり、これまでの経験を伝えることで、夢や希望を持つことの大切さや将来について考えるきっかけづくりを行っています。
今回は、千葉県千葉市立加曽利中学校の3年生を対象に開催しました。
車いすバスケ日本代表の鳥海 連志さん・古澤 拓也さん、3x3バスケ日本代表の桂 葵さん、バスケ日本代表・千葉ジェッツ所属の渡邊 雄太さんの4名に講師を務めてもらいました。
当日開催したイベントの様子を本記事にて紹介します。

3年1組 古澤 拓也さん

「大切なのは“連続”ではなく、“継続”」

――車いすバスケを始めたきっかけは何ですか?

僕が車いすユーザーになったのは、小学校6年生の時でした。
それまではスポーツが好きで、ずっと野球をやっていたのですが、病気をきっかけに車いすユーザーになった際に、母が車いすでもできるスポーツとして「車いすバスケ」を見つけてきてくれたのがきっかけです。バスケ自体やったことが無かったのですが、初めて車いすバスケを見たときに、選手が格好良くて、自分もやりたいと思いました。

――突然車いすユーザーになったことで、大変ではなかったですか?

まずは「車いすの生活を受け入れる」という事から始まるのですが、当時小学校6年生の時の担任の先生の「車いす格好いいね」という言葉に勇気をもらいました。
また、友達も「格好いい」と言ってくれて、休み時間も車いすで皆と一緒にドッジボールをするなど、それまでと変わらず生活していました。
今でも当時の小・中学生の友達と会うほどの仲ですが、困ったときに助けてくれる友人に囲まれ、僕の中で車いすは“眼鏡”のようなツールの一つとして存在しています。

――プロになりたいと思ったきっかけは何ですか?

小学校6年生の時に、卒業文集を書く際に、先生と「パラリンピックで金メダルをとる」というのを決めたのが、夢のスタートでした。
そして、本気でプロを意識したのは、2013年の当時高校生の時に、次のオリンピック・パラリンピックが東京で開催されることになったのがきっかけです。

――夢を叶えるために大切にしてきたことは何ですか?

一番は楽しむことです。
夢をパラリンピックでのメダル獲得と決めたときには、楽しんでその目標に向かっていくよう日々を過ごしました。

――壁にぶつかった時期はありましたか?

東京パラリンピックでは銀メダルを取れましたが、パリパラリンピックでは予選で負けてしまって大会にすら出られなかった時は落ち込みました。

――どのように乗り越えたのでしょうか?

僕は、「自分の心の声を聴く」というのをとても大事にしています。
パリの予選に負けたときも、「今ここで、東京パラリンピックでメダルを取ったという経歴を残してやめてしまうのは格好いいことか?」と自分に問いかけてみたら、「本当に格好いいのは、チャレンジし続けることだ」と自分の心が言っていました。
そして、チャレンジする中でまた辛くなったら、もう一度「なぜそれをやりたいか?」を思い出して、また目標に向かって動き出すという事を続けてきました。
休んでも良いので、大切なのは“連続”ではなく、“継続”だと思っています。

――今の夢は何ですか?

次のロサンゼルスパラリンピックでメダルを取ることです。
そのために、僕の役割である3ポイントシュートを、より遠くから・より確率よく・より大事な場面で決められる選手になりたいです。

――皆さんに一言お願いします。

大事にしている考えの一つに、むかし先輩からかけてもらった言葉で、「人生で一番大事な日は今日だ」というものがあります。
夢や目標に向かって頑張ることも大事ですが、昨日の自分を超えられるか、今日を一番大事だと思って日々を過ごしてほしいです。
そして、こうして皆で夢や目標について考えることができたことがとても嬉しいです。夢や目標を一緒に語った人は仲間です。僕の夢も応援してほしいですし、僕も皆の夢を応援しているので、またどこかで皆に会いたいです。

3年2組 渡邊 雄太さん

「自分に自信を持つ」

――小学校のころの夢は何でしたか?

テレビでNBA選手がプレーしているのをたまたま見て、自分もこうなりたいと思ったのがきっかけで、小学生のころからNBA選手になることが夢でした。

――夢を叶えるために大事にしてきたことはありますか?

練習しないとうまくならないので、遊びたい日もあったけれど、我慢して毎日練習していました。
僕の時代は今のように、部活以外でもバスケができる環境があまりなかったので、自主練メインに頑張っていました。

――どれくらい自主練していましたか?

午前中に部活がある場合は、部活が始まるまでの1時間グラウンドを走ってから部活に参加し、帰ってきてお昼ご飯を食べたらまた走りに行く、そのあとシュート練習をするなど、暗くなるまで練習していました。
走り込みは、走っている僕の後ろを父親が自転車でついてきて、だいたい10㎞くらい走っていました。

――すごいですね、やはりそこまでやるのが重要なんですか?

正直ここまでの必要は必ずしもないと思っています。
僕は量で上達しましたが、やはり質と量の関係も大切だということにも気づきましたので。
ただ量をやればいいということではないですが、質だけ追うのもまた違うので、バランスがとても大事だと思います。

――夢に向かう中で壁にぶつかったり、悩んだことはありますか?

たくさんあります。
僕は香川県出身なのですが、当時香川県にはバスケの強い高校がありませんでした。
そこで、県外まで練習に行ってみたのですが、「君は使えない」とどこからも取ってもらえなくて、結局香川県で高校進学することになりました。結果的には進学した先の学校で素晴らしい指導者と出会うことになったのですが、当時は挫折を味わった経験でした。
その後の高校生活でも壁にぶつかったタイミングはたくさんありますし、アメリカに行ってからも、当時英語が話せなかったり身体能力や技術の違いなど、様々な壁にぶつかっては乗り越えて、という経験ばかりでした。

――「君は使えない」と言われたほどの経験から、どう乗り越えたのですか?

そう言われた学校に勝てるくらいに強くならなきゃと思って、悔しさをエネルギーに変えていました。
香川県の高校は、当時全国に行っても1回戦を勝てるかどうかという学校だったのですが、そうした思いをモチベーションに、準優勝まですることができました。

――授業で生徒たちが「10年後のなりたい自分になるために明日から何をするか?」といったワークシートを記入していましたが、気になった記入などありましたか?

“毎日やること”の項目に1個とても大事なことを書いている生徒がいました。
「自分に自信を持つ」と書いていたのですが、それはとても重要なことです。
自分の夢や目標を否定する人間は周りにたくさん出てきます。でも、自分自身が信じないと夢をかなえることはできないので、「自分に自信をもつ」というのは本当に重要なことだと思います。

――渡邊選手の新しい夢はありますか?

今所属している千葉ジェッツを優勝に導きたいです。

――皆さんに一言お願いします。

壁にぶつかったときの僕の考え方を伝えたいと思います。
例えばテストで60点を取って、次は70点を取りたいと頑張って達成したら、それはいわゆる成長といいます。
そして、70点が取れたから、次は80点を取りたいと思って頑張るけれど、75点、76点と、なかなか80点に届かないタイミングが出てきて、これを世間一般的には壁といいます。
こういう時に自分が心がけていたのは、最初は60点だったことを思い出すという事です。

80点を目指したことで今は壁に阻まれているけれど、スタートからは10点以上も成長しているんです。
80点に届かないことで、「自分はダメなんだ」と否定せず、自分は80点を目指して成長しているからこそ壁にぶつかっているんだ、という考え方を持つだけで次のモチベーションになります。

そして、70点台で伸び悩んでいても頑張り続けることで、ある日突然85点が取れるようになります。
そしてつぎは90点、とさらに上の目標を達成していく。これが成長のプロセスです。

何かに挑戦していると必ず壁にぶつかる時が来ます。
そういう時にネガティブになるのではなく、自分の成長を見て、自分に自信を持ってほしいです。
1点あがっただけでも成長です。その積み重ねが10点、20点に繋がっていくのです。

3年3組 桂 葵さん

「好きという気持ちは、何かを続けるのに十分な理由」

――桂さんは高校では日本一のバスケ強豪校に通っていたと思いますが、当時から将来はプロになりたいと思っていましたか?

実は私自身はバスケ選手になりたいなと思ったことはなくて、将来は普通にサラリーマンになって、世界をまたにかけるビジネスマンになりたいと思っていました。
中学3年生の時には大学の志望校も決めていて、受験もバスケ以外にも選択肢があるようにスポーツ推薦はせずに一般入試を受けました。

――大学に行ってもバスケは続けていますよね?

そうですね。でも最初は続けるか迷っていて、たまたまお世話になっていた人が監督に就任したこともあって、「バスケは好きだしやってみるか」と思って大学でもバスケを続けました。

――プロ選手のオファーも沢山あったんじゃないですか?

大学4年生の学生最後の試合で、チームで日本一になって、MVPを獲得した時に多くのオファーはあったのですが、当時は就活を一生懸命して第一志望の企業から内定をもらっていたこともあり、プロのお誘いはお断りしていました。

――なぜバスケをやめたのですか?

バスケは好きだったんですが、バスケ選手として進んでも、これ以上新しい人に出会わないと思ったからです。バスケの世界は、小さい世界だと思っていました。
代表などに入ると、ある程度一緒にいる人が決まってくるので、将来を想像したときに、もっと違う世界があるのではないか、という疑問がわいてきたんです。

――どれくらいバスケから離れていたんですか?

3年間です。

――そこから再開したきっかけは何ですか?

やっぱり自分はバスケが好きだと気付いたからです。
バスケから離れている間に、学生の後輩たちの試合を見ていたのですが、スポーツを頑張っている姿に胸を打たれて、自分がバスケが好きだという事を自覚し、またバスケを始めようと、会社員をやりながら競技復帰をしたのが25歳の時でした。

そこからどんどんのめりこんで、世界大会にチャレンジしたいと思い始めたのですが、3X3はまだ新しい競技だったので、世界大会に出るには、自分でチームから作らないといけないような状況でした。
チームを作るためには仕事を続けるのは難しいので、29歳で会社を辞めてZOOSというチームを立ち上げて、営業をしてスポンサーや資金を集めながら世界にチャレンジしました。

――すごいチャレンジですよね。

学生時代、好きでやるだけでは将来続けられないかなと思って離れたバスケですが、会社員を経て、「好きという気持ちは、何かを続けるのに十分な理由だ」と気付いたんです。
それは、お金が稼げる・将来のキャリアに繋がるという事よりも私にとっては大事なことでした。
会社員をやめて数年は今までの貯金を全部崩しながらチーム立ち上げの為に全力を尽くしましたが、好きだからやれたことだと思います。

――皆さんに一言お願いします。

こうして私の話をすると、もしかしたらとてもキラキラしているように聞こえるかもしれないけれど、私が中学生の時は、まさか自分がこんな人生を歩むなんて思っていませんでした。
「好きなことをやる」と今だから言えますが、中学生の頃の自分が聞いたら、「そうはいっても現実は・・・」と思ったはずです。

好きなことだけじゃなくて、自分が何になりたいかわからない・得意な分野が分からない、というのは何歳になってもあると思います。夢はすぐに見つからなくても、見つかったときの為に選択肢の可能性を広げることはいつでもできます。私には勉強がそのための行動でした。

キラキラした夢だけじゃなくて、地道な努力でたどり着く目標もとても大事です。
そうした努力の先で選べるものもあるから、「まだ夢がない」「好きを仕事にするイメージが無い」と思っても大丈夫です。今何ができるかというのに着目して頑張ってほしいです。

3年4組 鳥海 連志さん

「優れるな、異なれ」

――小・中学校の頃はどのような学生でしたか?

小学生のころはクラブ活動とかもしていなくて、放課後にグラウンドでサッカーや野球などを同級生と一緒に遊んでいました。
中学生の時に車いすバスケを始めてからは、車いすバスケに夢中になっていました。

――中学生のころの夢は何でしたか?

中学一年生の時に車いすバスケを始めたのですが、始めてすぐに「所属しているチームで一番上手になる」という目標を立てました。それが一番最初の夢です。

そして、中学2年生の時にU23の世界大会の選考会に行ったのですが、自分を含めて3人で参加をして、僕以外の2人は海外遠征の声がかかったのに、僕だけ声をかけられずに帰路についたんです。その時に、「誰よりも一番最初にパラリンピックで結果を残す」という目標ができて、それからはその目標に向かって猛練習をしました。

――夢をかなえる為に大切にしていたことは何ですか?

色々ありますが、例えば、一番最初の夢である「チームで一番うまくなる」を達成するために、チームの全員や親、友達など周りの人に自分の夢を言葉にして共有するというのは大事にしていました。

――夢を目指す途中で壁にぶつかった経験はありますか?

17歳の時にリオパラリンピックに出場したのですが、自分としてはあまり良い結果を残せず、悔しい気持ちを抱えていました。

――そこからどのように乗り越えましたか?

当時は上手な先輩のプレーを真似して、“より優れた選手”になろうとしていたのですが、それをやめて、自分らしいキャラクターは何かを探し始めました。

次に控えていた東京パラリンピックに向けて、チームの中心的な選手になりたいと思っていたのですが、上達をするために上手な人の真似をするのはとても大事だけれど、真似をしているだけでは、その模範となる人を超えることができないけれど、自分らしい違う道を見つけたら自分が一番先頭になれると思い、自分の強みをいかして、チームの中心選手になれるよう頑張りました。
「優れるな、異なれ」という言葉は、今でも大事にしている考え方の一つです。

――今の夢は何ですか?

2028年のロサンゼルスオリンピックで、メダルを取るのが次の目標です。
そして、長期的な目標として、いつか金メダルを獲得することがあります。
こうした夢も、沢山の人に発信をして伝えるようにしています。
今まで多くの目標を立ててきましたが、目標を超えることがまだ十分にできていないと感じているので、最終の目標に向かって、小さい目標をクリアしていきたいです。

――皆さんに一言お願いします。

大人になってからも夢を持つことはできるけれど、やはり学生の頃のほうが圧倒的にたくさんのことに挑戦出来て、好きなことや将来の選択肢を増やすことができると思います。
まだ夢が決まっていなくても、やりたいことにどんどんチャレンジして、好きなものをいっぱい作ると、それが将来夢になるかもしれないし、夢が見つかったらそれを人に共有することで仲間が増えていきます。好きなことが見つかったときは、それを見逃さないで、突き進んでいってほしいです。

参加した生徒の感想

  • プロの選手でも、最初から夢が決まっていたわけではなかったということに驚きました
  • 困難を乗り越えて夢を叶えたということにとても尊敬の気持ちを抱きました。
  • 自分の夢を発表するのは少し勇気が必要でしたが、世界と戦っている方に自分の夢を聞いてもらえたことに誇りを持ちたいと思いました。

「DREAM HOOP PROJECT」って?

「夢」は「輪」のように終わりがなく無限だということを伝えていきたいという想いを込めたプロジェクトです。バスケ選手による授業であることから、バスケのリング「HOOP」とかけて、このプロジェクト名としました。
バスケ選手にこれまでの人生の選択やその選択に至った想いを話してもらうことで、
夢や目標を持つきっかけとなってほしいと考えています。
当社は、これからもバスケットボール界と共に、このプロジェクトを全国各地で開催していきます。

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