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バスケットボール

2025年6月3日(火)「DREAM HOOP PROJECT」を神奈川県川崎市で開催!

「B.LEAGUE Hope×日本生命 地域を元気に!バスケACTION」の一環として、川崎市立王禅寺中央中学校の2年生を対象に、B.LEAGUEクラブ『川崎ブレイブサンダース』の篠山竜青選手、車いすバスケットボールチーム『神奈川VANGUARDS』の前田柊選手、元女子日本代表の中川聴乃さんを講師に招いて、夢授業を実施しましたので、当日の様子を本記事にて紹介します。
DREAM HOOP PROJECTは、バスケ選手が講師となり、子どもたちにこれまでの経験を伝えることで、夢や希望を持つことの大切さや将来について考えるきっかけづくりを目的に、全国各地で開催しています。

2年1組 篠山竜青さん

「自分が楽しいと思えることに対して取り組むときに、もう一歩他の人より頑張る気持ちを持続させることが大事」

――小学校の頃はどのような子どもでしたか?

勉強はあまり得意ではなかったです。クラスのムードメーカーで明るく元気な性格でした。

――バスケットボールに興味を持ち始めたのはいつ頃ですか?

3兄弟の末っ子で兄・姉がバスケットをやっていたこともあり物心ついた時にはバスケットをやっていました。しかし、高校からバスケットを初めて今プロとしてやっている選手もいます。今から全く違うことを初めてもその道のプロになったりすることもまだまだできます。
だからこそいろんなことを感じてほしいし、色んなことにチャレンジしてほしいなと思っています。

――プロバスケットボール選手になろうと思ったきっかけは何ですか?

中学生ぐらいから、受験とかそういう言葉を耳にする機会が増え、自分はやっぱり勉強じゃ高校とか大学とかにはいけなそうだなと思うタイミングが出てきました。
小学生から楽しくて続けていたバスケットで高校や大学に推薦でいけたらいいなとか、そのままバスケットのトップリーグにいってバスケでお金を稼げればいいなと思い始めたのがちょうど中学生ぐらいのときです。
大きい大会に出れるようになって自分と同じ世代のライバルたちと比べて自分がどれくらいのレベルに位置しているか分かるようになったぐらいで、将来プロバスケットボール選手になりたいと明確なビジョンが見えました。

――夢に近づくためにどんなことをしていましたか?

中学校の時はとにかく部活を頑張っていました。他になにも特別なことはしていなかったです。
目の前の練習に全力で取り組んでいました。

――部活の練習は大変そう・辛そうなイメージがありますが、どうでしたか?

練習はきつかったしさぼりたいと思った時ももちろんありました。
しかし、練習で全力を出せなかった日は、終わった後に罪悪感が芽生え、「これが習慣化したらうまくはなれないしプロにもなれないよな」という感情が自分のエネルギーになり、練習でも出し切ったという気持ちで毎回終えることができるように取り組んでいました。
バスケットボールはチームスポーツなので、チームメイトや同じ地区の上手な子たちと試合をしながら、日々のウォーミングアップのダッシュ一本でも負けないと強く思っていました。
毎日少しずつさぼっていたら1年後には膨大な差が生まれてしまうけど、もう一歩頑張れたらそれが癖になって周りとの差を広げることができます。
だからこそ、小さい成功体験や達成感を大事にしてほしいと思います。部活だけではなく自分が楽しいと思えることに対して取り組むときに、もう一歩他の人より頑張る気持ちを持続させることが大事です。

――夢に関して中学校ではどのようなことをイメージしていましたか?

10年後の自分はバスケットでプロの選手になっているとイメージしていました。
強いチームからオファーをもらうためには強い大学にいく。強い大学に行くには、強い高校にいきU-18日本代表をクリアする。そのためには、中学の時にベスト4ぐらいの実績を作る。というように、夢からの逆算をしていました。

――新しい夢はありますか?

引退後もバスケットボールに関連した仕事を通して、自分が選手として培った経験を今度は子どもたちに還元して日本のバスケットボールの普及や強化に携わりたいと思っています。
10年後の夢は、バスケットと言えば絶対に「篠山さん」と名前がでてくるバスケットおじさんになることです。
いろんなことに目を向けることで視野が広がるのでたくさんのことにチャレンジしてほしいです。
例えば、スポーツ選手になりたいという夢があってもどこかで途絶えてしまうかもしれませんが、マネージャーや道具係としてチームに関わったり、選手ではないがその運営に携わったり、いろいろな仕事があることを今から知っておくといいと思います。
そういったことを探すために、いろんなところにアンテナを張ることが大事です。「自分は何をしてる時が楽しいか」等自分に矢印を向けていってください。

2年2組 中川 聴乃さん

「自分がどうしたいか、をいつも自分に聞きながら進んでいくことが大切」

――小学校の頃はどのような子どもでしたか?

割と活発で、進んで手を挙げたりと積極性も強かったです。とにかく勝ち負けに拘ることがすごく好きで、「絶対勝ちたい!」というような強い気持ちを持った子どもでした。

――小・中学生のころの夢は何でしたか?

夢という夢はもったことはなかったですが、目標はすごくたくさん持っていました。
例えば、小学校時代だとテストがある度、「この点数を絶対取りたい!」というように小さい目標から少しずつ大きい目標をたてるようにしていました。
とてつもなく大きくて叶うかどうかわからないものよりは、絶対叶える目標を立てていってクリアしていった方が自分自身の自信になると思って、未だに小さい目標も含め目標は持つようにしています。
当時は、まさかバスケット選手をやるなんて思っていませんでした。
小学生の頃は、バスケットはもちろんピアノ・書道・バレエ・そろばんとか色々な習い事をしていて、その中でも、そろばんは相当頑張っていました。

――そろばんをなぜ頑張っていたのですか?

そろばんを頑張っていると試験があるのですが、試験を合格していくとそろばん大会への出場を打診されます。その大会に出て優勝するとトロフィーや商品がたくさんもらえます。
勝ち負けが好きなので勝つことへの喜びが強くあったのと、商品が欲しいがためにすごく真剣にやっていました。
また、アメリカの子どもたちにそろばんを普及しようという活動があり、優秀な人のみがそのイベントに参加できると知って、小学校2年生の頃に「絶対アメリカに行く!」という目標を持ちました。
そして、小学校6年生の頃にそのイベントに行く権利を得ることができたのですが、バスケの最後の大会と日にちが重なるということが起きました。悩みましたが、そろばんはこれで最後にし中学校からはバスケに集中すると決め、念願のそろばんイベントへの参加を選択し目標を達成しました。
目標を立てたあとは絶対クリアすると決め、叶えるために何をやるのか・実現させるためのロジックを考えていくことは小学校の頃から身に着けていました。

――壁にぶつかった時期はありましたか?

1番の挫折は、高校1年生の時の転校のタイミングです。当初長崎県で通っていた学校は中高一貫校だったこともあり、高校にそのまま進学をしました。しかし、全国大会の際に目の前で優勝している学校を目の当たりにしたときに、「私も優勝したい!」と強く思い、日本一になるために日本一の高校にいこうと愛知県の高校へ転校を決意しました。
しかし、高校バスケでは、転校したら半年間試合に出れないというルールがあり、やっと出場できた大会では、「長崎の応援してくれている人たちを喜ばせたい」「活躍しなきゃいけないから失敗できない」という思いにさいなまれ、試合に出るのが怖くなっていきました。色々なものを背負いすぎて自分で自分を苦しめ、大スランプに陥ってしまいました。

――どのように乗り越えたのでしょうか?

1回目標を捨てて、目の前の日常に目を向けました。そうすることで、もう1回少しづつ目標をもてるかもという気持ちになったので、リセットするという時間がとても大切でした。
周りの人に悩みを打ち明けることは得意ではありませんでしたが、両親には少し電話をして心を整えたりしていました。一人でかかえこまないということも非常に大事だと思います。

――新しい夢はありますか?

子ども達が、地元長崎県から世界へ羽ばたくプロジェクトを行いたいと思って、イベントを開催できるように動き出しています。
また、私は足のサイズが大きいのですが、女性の大きいサイズの靴は可愛いデザインのものが少ないなと感じていたので、自分で作ろうと、数年前に靴のブランドを立ち上げました。
色んな事情があって、一度そのブランドが終わってしまったので、来年に向けてまた立ち上げようと動いています。

――授業では生徒にも自分の夢を発表してもらいましたが、いかがでしたか?

夢を考える機会はそんなに頻繁にはないと思います。「あんなことやりたいな」「こんなことやりたいな」と思いを描いていくことがすごく大切なことです。
沢山の生徒が発表をしてくれましたが、一歩前に出るって恥ずかしかったり周りにどう思われるかなと思う瞬間もたくさんあると思います。でも自分の人生なので、自分がどうしたいか、をいつも自分に聞きながら進んでいくことが大切です。
何かあったときは人に頼りながらその道を超えていってください。私たちもいろんな悩みを抱えながらでも、目標にむかって進んでいます。みんなで明るい未来にしていきましょう。

2年3組 前田 柊さん

「夢と言われると大きく感じて、悩むこともあると思うけれど、一つずつ階段をおろしてみると、今自分が何をしたらよいかが見えてくる」

――中学校の頃はどのような子どもでしたか?

良く動き回る活発なタイプで、目立つのが好きだったので、生徒会に加入をしたりしていました。

――小中学生の頃は陸上部だったんですよね?

小学校3年生のころから陸上をやっていて、純粋に走るのが好きだったことに加えて、やればやるほどタイムが良くなってくという結果が目に見えるところに夢中になっており、自然と陸上選手になりたいと思っていました。

――車いすバスケを始めたきっかけは何ですか?

僕が車いすユーザーになったきっかけは、21歳のころのスポーツ事故でした。
当時は急に生活が変わったことにショックを受けもしましたが、スポーツが好きだったので、
車いすでもできるスポーツを何かしたいな、と思っていたところで車いすバスケに出会いました。

――どのように夢や目標を設定していましたか?

僕自身、最初は陸上の選手を目指していたのに、最終的に車いすバスケ選手になっていることから、必ず最初に立てた夢や目標が叶うということではないというのを経験しています。
ただ、目標を立てたときは「目標を達成する為には何をしたらいいのか」を考え、目標が変わったときでも「自分が今何のために頑張っているのか」「次は何をすればいいのか」を考えて、一歩ずつ取り組むことを大切にしています。
夢と言われると大きく感じて、悩むこともあると思うけれど、一つずつ階段をおろしてみると、今自分が何をしたらよいかが見えてくるのかなと思います。

――夢をかなえるために大事にしてきたことは何ですか?

一つは、楽しむこと、もう一つは周りの人を大切にするという事です。家族や友達など、夢を支えてくれる人や応援してくれる人のために恩返ししたいという気持ちは特に大切にしていました。

――壁にぶつかったときの乗り越え方を教えてください。

事故にあうまでは、車いすに乗ったことすらなかったのに加えて、バスケットボールの経験も全くなかったので、初めて車いすバスケをやったときに何もできなくて絶望したのを覚えています。
スポーツが好きで、いろんなスポーツをやったことがあったのですが、一番難しかったのが車いすバスケでした。
しかし、それが逆に、「できないから、もっとうまくなりたい」と思うきっかけにもなりました。
車いすバスケをしていて壁にぶつかったり挫折を感じた時に、「何のために今自分は車いすバスケをやっているんだろう?」と振り返ることで、「楽しむために始めた」という自分の原点に帰ることができ、「もっと楽しんでやろう」と自分の気持ちを上げて、もう一度頑張ることができました。

――前田選手の今の夢を教えてください。

今所属している、“神奈川VANGUARDS”というチームの天皇杯4連覇という目標に加え、個人の目標としては、日本代表への選出とパラリンピックへの出場を目指しています。

参加した生徒の感想

  • 今の自分だからできないではなく、自分にできることを探すことを大切にし絶対に諦めないということを大切にして頑張ろうと思いました。
  • まだ明確には夢や目標はないけれど、自分が楽しんで取り組めるように少しずつでも自分に寄り添っていきたいです。
  • 選手たちの話を通して、今の自分のあるべき姿、夢はいくらでも持っていいということを学びました。たとえ今描いてる夢にならなくても、別の形で本当にやりたかったことを叶えていけばいいということが知れました。

「DREAM HOOP PROJECT」って?

「夢」は「輪」のように終わりがなく無限だということを伝えていきたいという想いを込めたプロジェクトです。バスケ選手による授業であることから、バスケのリング「HOOP」とかけて、このプロジェクト名としました。
バスケ選手にこれまでの人生の選択やその選択に至った想いを話してもらうことで、
夢や目標を持つきっかけとなってほしいと考えています。
当社は、これからもバスケットボール界と共に、このプロジェクトを全国各地で開催していきます。

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