2025年1月17日(金)「DREAM HOOP PROJECT」第9弾を千葉県船橋市で開催!



バスケ選手が講師となり、子どもたちにこれまでの経験を伝えることで、夢や希望を持つことの大切さや将来について考えるきっかけづくりを行っています。
9回目となる今回は、船橋市立小室中学校の中学1・2年生を対象に開催しました。
車いすバスケ男子日本代表の、丸山弘毅選手、香西宏昭選手、国内男子プロバスケットボールチーム『群馬クレインサンダーズ』の八村阿蓮選手、元女子日本代表の中川聴乃さんに講師を務めてもらいました。当日開催したイベントの様子を本記事にて紹介します。
八村選手には体験会のみ参加いただいたため、当記事での紹介はございません。
1年1組 中川 聴乃さん
「自分が好きなことや目標を見つけることで、やり抜くことができる」
―――小学校の頃はどのような子どもでしたか?
小学校の時は勝ち負けや競うことが好きな子どもでした。
書道、ピアノ、エレクトーン、バレエ、そろばん、水泳といった沢山の習い事をしていて、最後に始めたのがバスケでした。
なかでも当時一番頑張っていたのはそろばんで、大会で勝つともらえる賞品やトロフィーがほしくて頑張っていました。そろばんで培った集中力はのちにバスケに繋がったと思います。
―――そろばんはどのようなことを頑張っていたのですか?
アメリカの子どもたちにそろばんを広めるという活動があるのですが、小学校2年生の時に、ある程度級をあげるとそのイベントに参加できるということを知って、「そこに参加したい!」という目標ができ、目標に向かって頑張っていました。
そして、ついに小学校6年生の時にそのイベントに行く権利を得ることができたのですが、バスケの最後の大会と、そろばんのイベントの日にちが重なるという事が起きました。悩みましたが、やはり小学校2年生からずっと夢だったそろばんのイベントへの参加を選択しました。小学校の時一番やりたかったことが叶ったので、そろばんは小学校で卒業をし、それ以降はバスケに集中しました。
―――小・中学生のころの夢は何でしたか?
実は、「これになりたい!」という夢らしい夢はありませんでした。
というのも、とてつもなく大きくて叶うかどうかわからないものより、小さい目標を沢山見つけて頑張るタイプだったのもあり、学校の試験やバスケの試合など、目の前の目標を達成することに夢中でした。
―――プロバスケットボール選手になろうと思ったきっかけは何ですか?
学生時代は「こういう選手になりたい」「このチームでやりたい」というのはありませんでした。
それでも、中学・高校で大きな舞台を経験し、目の前の目標を一つ一つクリアしていく中で、「バスケの道に進むのだろうな」と思ったのが高校3年生の時でした。
なので、目の前の目標をクリアしていって、一つ一つステップアップした先で、プロ選手になることに繋がっていったように思います。
―――壁にぶつかった時期はありましたか?
高校1年生の時の転校のタイミングです。当初長崎で通っていた学校は中高一貫校だったこともあり、高校にそのまま進学したのですが、U-18代表への選出やインターハイなどを通じて、日本一になりたいという思いが強くなりました。思いが強くなるにつれて、今いる高校では物足りなくなり、「日本一になるために日本一の高校に行こう」と思い、愛知県の名門校へ転校を決めました。
高校バスケでは、転校したら半年間は試合に出場できないというルールがあり、転校して最初に出場できる大会が、東海地区大会の準決勝でした。試合のメンバーにも選ばれ、チームは優勝したにもかかわらず、私自身は大スランプに陥りました。
というのも、長崎から転校して、「長崎のみんなが応援してくれているから絶対に活躍しなきゃ」「100点満点のプレーをしなきゃ」と思ったことで、ミスがとても怖くなり、試合でボールを持つことを避けるようになりました。
試合に出ること自体が怖くなってしまい、「転校までしてきてるのに何で・・・」と体と心のバランスが崩れてしまいました。
―――どのように乗り越えたのでしょうか?
自分が一番何をしたいか、何を目指したいかは変わらなかったので、そのために何をしなくてはいけないか常に考えていました。
目標に向かって頑張ってやり抜くのはとても大変ですが、自分が好きなことや目標を見つけることで、やり抜くことができるようになります。
「前進」が私の中でのモットーですが、時には休むことも大切ですし、進むだけが人生ではないとも思います。進むのが苦しい時は、立ち止まってみる、誰かに話を聞いてもらったり安らげる場所に行くなど、少し休むことも大切だと考えます。よりどころになれる人や環境を持っていると、苦しい時に自分を癒すことができると思います。
―――授業では沢山の生徒にも自分の夢を発表してもらいましたが、いかがでしたか?
夢や目標、好きなことを発表するのはとても大切だと思います。目標を達成するためには、自分自身で相手の心を動かさなければいけない場面が多くあります。そして、自分の夢や目標を伝えるときの熱量は必ず相手に伝わるものなので、どんどん自分の想いを発信していったり行動で示していってほしいです。


1年2組 丸山 弘毅さん
「もがき続ければその先の結果を変えられる可能性がある」
―――車いすバスケットボールを始めたきっかけは何ですか?
実は中学1年生までは、バスケ部に入り、“車いすバスケ”ではなく、“バスケ”選手として、みんなと一緒にプレーしていました。義足でバスケをするのはきつかったけれど、バスケ自体は楽しくて好きでした。
ある時、休み時間にバスケをしていた際に友人が、「シュート打ちなよ」と声をかけてくれたんです。それまでは、自分には障がいがあるから打てないと、周りにパスだけを出していたのですが、その友人に声をかけられて、シュートを打ってみたら今まで以上に楽しくて、そこからバスケにのめりこみました。
高校でも部活でバスケを続けたかったのですが、プレー中に接触した時に、高校生の体格では自分がけがをしてしまう可能性だけでなく、義足で相手にけがをさせてしまう可能性もあり、バスケ部に入るのが難しいなと感じていました。それでもバスケを続けたいと思い、何があるんだろうと考えていた時に、たまたま車いすバスケを題材にした漫画に出会い、興味をもって始めたのがきっかけです。
―――小中学生の頃の夢は何でしたか?
中学生まではあまりこれといった夢は見つかっていなくて、とにかく日常の色んな事が楽しかったので、興味を持ったことを色々やっていました。でもその頃は、困難に直面したとき、障がいを理由にしてしまっていて、「みんなと同じじゃないから」という言葉で頑張りきれないところがありました。中学時代は夢から逃げていたと思います。
―――頑張りきれない自分から変われたきっかけはなんですか?
車いすバスケがきっかけです。車いすバスケは、選手みんなが様々な障がいを抱えていたので、障がいを言い訳にできなくなりました。車いすバスケをきっかけに、他の様々な場面でも、自分のできないことに対して障がいを理由にしないようになっていきました。
―――プロになろうと思ったきっかけはなんですか?
高校卒業した後もバスケを続けたいけれど、仕事もしなくてはならないので、公務員だったら土日休みだから試合に出れるし、平日も定時に帰れて練習の時間が取れると思い、公務員になりました。しかし、実際は甘くなくて、残業などでなかなか思うように練習の時間が取れず、ふと「バスケをするために公務員になったのに、今は仕事でバスケができていない。何のために仕事をしているんだろう」と思いました。そこで、思い切って公務員をやめてアスリート雇用でバスケだけやらせてもらえる環境に飛び込みました。公務員時代は地元の長野にいましたが、より上を目指すために上京をして、神奈川のチームに移籍をしました。
―――壁にぶつかった時期はありましたか?
日本代表になるために長野から出たのに、上京して3、4年間代表候補にすら選ばれなかったときは、「何のために上京したんだろう」と苦しかったです。
―――そこからどのように乗り越えたのですか?
今の状況に悩んでふてくされているだけだとそこで終わってしまうけれど、もがき続ければその先の結果を変えられる可能性があると信じて頑張りました。
そして、ちょうど東京2020パラリンピックが終わって、次のパリ2024パラリンピックに向かうときに、アジア予選で日本代表には選ばれることができました。
しかし、「次は自分がパリで代表になるんだ」と頑張りましたが、予選で負けて出場は叶わず、この1年間も本当に苦しかったです。それでも、次はロス2028パラリンピックがあるから、このまま落ち込んでいたらいけないと、気持ちを奮い立たせて目標を変えて頑張りました。
―――丸山選手の今の夢を教えてください。
ロス2028パラリンピックに出場することです。
―――皆さんに一言お願いします。
僕が中学の頃は、こういう機会があっても自分から質問したり、考えを発表したりすることができなかったので、今こうして大人の立場になって、後悔をする時があります。どんどん自分の好きなものを発信していって、夢がある人はそれに向かって、夢がない人も好きなことや興味があることに打ち込んで色んなことにチャレンジしてほしいです。


2年1組、2年2組 香西 宏昭さん
「夢がある人はそれに向かって頑張って、ない人も焦らずに好きなことに打ち込んでまずは日々を楽しんで」
―――車いすバスケットボールを始めたきっかけは何ですか?
小学校6年生の時に、地域のチラシに車いすバスケ体験会の案内があり、父と一緒に体験会へ行ったのですが、体験会に来ていた車いすバスケチーム「千葉ホークス」の選手にチームへ誘ってもらったことがきっかけです。それまではスポーツをやったことがなく、野球観戦が好きな子どもでした。
―――高校卒業後アメリカへ留学していますが、中学時代には夢やアメリカに行きたいなどの想いはありましたか?
その時はまだなかったです。
中学1年生の夏に3泊4日の車いすバスケットボールキャンプに参加したのですが、後に私が留学することになるイリノイ大学のヘッドコーチが特別講師として来日していました。
そこで、当時のヘッドコーチから、アメリカの大学には車いすバスケ部があることや、車いすバスケリーグがあることを教わり、イリノイ大学に来ないかと誘われたのですが、正直あまり現実味がなく、本気で考えられてはいませんでした。
それでも、車いすバスケを始めた当初から、父親に「車いすバスケをやるうえでの目的と目標を立てよう」といわれており、当時の僕には目的と目標の違いはわからなかったのですが、とりあえずイメージのわきやすい目先の目標を常に設定しながら車いすバスケに取り組んでいました。
―――プロになろうと思ったきっかけはなんですか?
正直プロになろうとは思っていなかったです。
高校生までは、大学で留学して日本に帰ってきた後、仕事をしながらどうやって練習の時間を確保しようかと考えたときに、先輩の話なども参考にして、公務員がいいんじゃないかと思っていました。
でも大学生で留学をし、次どうしようかなと思っていたときに、ヨーロッパでは車いすバスケのプロ選手として活動できるチームがあるというのをイリノイ大学の先輩から知ることができ、自分もヨーロッパに行って日本代表のために挑戦し続けようと思い、その後ドイツでプロの道に進みました。
―――壁にぶつかった時期はありましたか?
2016年のリオパラリンピックです。チームの副キャプテンとして、6位より上に入るのが目標で、チームの実力もあると信じていたのですが、連敗しました。
当時は試合結果や練習過程について、「ああしていたら」という後悔ばかりで、「このままでは東京大会で代表にすら選ばれないだろう」と落ち込みました。
―――そこからどのように乗り越えたのですか?
「変わりたい」と思ったのが一番です。スポーツは心技体といわれますが、「すべての分野でレベルアップをしたい」「同じような後悔は二度としたくない」という思いがエネルギーとなりました。
―――香西選手の今の夢を教えてください。
まずはロス2028パラリンピックに出る。そして、出るからにはメダルを取りたいです。狭き門だということはわかっているし、4年後は年齢的にもすごく難しくなるのはわかっています。それでも、もう一回あの舞台に立ちたいというのは、パリに出れなかったこともあり余計強く思っています。
―――「車いすバスケをやる目的と目標」というお話がありましたが、今の目的と目標は何ですか?
車いすバスケをやりたい人がもっとできるような環境を作り、車いすバスケに恩返しをするというのが最終の目的です。それに向け、今中高生に向けて車いすバスケのコーチングをしているのですが、3年かけてその子たちが大人のチームの試合に出られるようにするというのが今の目標です。
そして、自分が子どものころにはなかった、同世代との練習機会や切磋琢磨する環境は今もまだ少ないと感じているので、車いすバスケをやりたい人がもっと挑戦できるような環境を作りたいです。
―――皆さんに一言お願いします。
夢はあったら原動力になります。だけど夢は必ず持たなくてはいけないものではないし、見つけようと思っても見つからなかったり、逆にある日ふと夢が見つかるときもあります。もちろん見つからなくたっていいです。夢がある人はそれに向かって頑張って、ない人も焦らずに好きなことに打ち込んで、まずは日々を楽しんでほしいです。


参加した生徒の感想
- まずは、自分の好きなことや楽しいことなど、自分をもっとよく知って大きな目標を立てたいと思いました。また、今日や明日からすぐにできる小さなことから挑戦していこうと思いました。
- 自分にはできないなどとすぐに弱音を吐かずに、自分ならできると思いこんでやったほうがモチベーションも上がるし、少し見えてくる世界が変わってくるのかなと感じました。夢を簡単に諦めるようなことはしたくないと思いました
- 生まれ持っているものはみんな違うけれど、今自分がやるべきことやこれから出会うことに全力で向き合って頑張りたいです。
「DREAM HOOP PROJECT」って?
「夢」は「輪」のように終わりがなく無限だということを伝えていきたいという想いを込めたプロジェクトです。バスケ選手による授業であることから、バスケのリング「HOOP」とかけて、このプロジェクト名としました。
バスケ選手にこれまでの人生の選択やその選択に至った想いを話してもらうことで、
夢や目標を持つきっかけとなってほしいと考えています。
当社は、これからもバスケットボール界と共に、このプロジェクトを全国各地で開催していきます。