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バスケットボール車いすバスケットボール

2024年2月22日(木)「DREAM HOOP PROJECT」第5弾を神奈川で開催!

バスケットボール選手が講師となり、これまでの経験を伝えることで、夢や目標の大切さや自分の未来について考えるきっかけづくりを行っています。
5回目となる今回は、川崎市立日吉中学校の3年生に向けて開催しました。
地元男子プロバスケットボールチームの篠山竜青選手(川崎ブレイブサンダース所属)、車いすバスケットボール日本代表の古澤拓也選手、丸山弘毅選手(両選手とも神奈川VANGUARDS所属)、3×3の桂葵選手(ZOOS代表)の4名の選手に講師を務めてもらいました。
合格発表を目前に控えた生徒に向け、「未来を自分で切り拓いていってほしい」という先生の想いのもと、卒業記念として開催したイベントの様子を本記事にて紹介します。

3年1組 篠山竜青選手

「いまの君たちの夢は無限の可能性がある。自分のパーソナリティを言い訳にせず、自由に描いて欲しい」

――子どものころ夢中だったことは何ですか?

みんなと同じ中学生の時は、部活に一番エネルギーを注いでいました。将来は、「トップリーグでプレーできてたらいいなぁ」と漠然と思っていました。けれど、それはあまりにも遠い夢で、今回こういった場で話をすることになって、「なんであんなにエネルギーを注げてたんだろう」ともう一度考えてみたら、ただ、「モテたかった」からだということに行きつきました。
頑張れる気持ちの素って単純で意外に近くにあるものだなと思っています。振り返ってみても、そのシンプルな動機の積み重ねが今につながっていると思います。

――夢はその積み重ねってことですか?

そうですね。トップリーグに行くためにどういう大学に行ったらスカウトの目に止まりやすいか、強い大学に行くためには高校でどんな成績を残していればいいのか、中学では?を考えながらやってきました。でも、根底にあるのはどうしたらかっこよく見てもらえるかです笑
たとえば、僕が高校から県外の高校に進学したように、人と違うことをすることがかっこいいと思っていました。親と離れて暮らしたり、寮生活することはものすごい不安があったけれど、自分の理想に近づくためには進まなければならないという勢いで決めました。

――勢いで決めることも大切ってことですか?

そうですね。今の夢とか目標に根拠や理由づけはいらないですし、「◯○だからできない」で諦めないでほしいです。
情報が溢れてる今の時代、便利なところもあるけど、流れてくる情報をみて、「この人は特別」「私とは違う」と比較しないことや自分を決めつけないことが大切だと思います。
いまのみなさんの夢は無限の可能性があります。自分のパーソナリティを言い訳にせず、自由に描いて欲しいです。描いた夢にいくらでも近づく道があることを忘れてほしくないです。

――これまでの人生でターニングポイントとなった時期はいつですか?

やはり、強豪校(高校)への進学を決めたことです。親元を離れたことで、強豪校でバスケをしているだけでなく、試合に出て活躍しないと意味がないと思っていましたし、県外でプレーすることで、自分の頑張りが、神奈川のみんなの勇気になりたいという想いがさらに強くなりました。
活躍するためには、人と異なる強みがあることが大切で、そのために、自分の強み・弱み、ライバルの強み・弱み、相手校の強み・弱みを知って、どうしたら選んでもらえるか、どうやったら違う価値が出せるかを考えながら毎日練習をしていました。

――夢が今ない人もいると思いますがアドバイスはありますか?

夢というとすごく遠く感じるけど、まずは自分を知ることが大切だと思います。
日常の自分の気持ち、心の声、感覚を大切にしてほしいです。夢がなくても、日々の中でヒントはあります。自分が好きなものってなに?というのにアンテナを張ってほしいです。その延長が夢につながると思います。

――篠山選手の10年後の夢はありますか?

10年後というと引退後ですよね。探し中です。みんなと一緒ですね。なんらかの形で川崎に関わっていきたいと思いますが、先輩やスポーツとは関係ないところで会った人から話を聞くことで、どういう世界があるか情報収集をしている最中です。

――全国の子どもに向けて一言お願いします

未来は常に君たちの手の中!

3年2組 桂葵選手

「自分が幸せになるためにどうしたらよいか知っていることが幸せ」

――子どもの頃夢中だったことは何ですか?

特定のものはなくて、いろんなことをしていました。夢もこれといったものは特になくて、世界で活躍できる大人になりたいなぁと漠然と思っていたくらいです。
みんなと同じ中学生の時は、毎日バスケづけの日々だったけれど、バスケだけの人生になりたくなくて、高校はバスケ推薦も決まっていましたが、受験もしました。
高校から大学に進学するときもスポーツ推薦を断り、一般受験で進学しました。そういった決断が、その後も自分のアイデンティティになっています。自分の可能性を狭めず進んだことが、人との出会いにもつながったと思います。

――バスケだけではなく、違う道を選んできたのはなぜですか?

私はバスケだけではないという根拠のない自信があったというのもありますが、バスケをしていたら出会わない人たちに出会ってみたいと思ったことが一番大きいです。
常に「より楽しく、わくわくした人生」にするにはどんな道があるんだろうと思って道を選択してきました。

――その選択をした結果はどうでしたか?

バスケをしていたら出会わない人やものに触れて、日本一を目指すことだけがすべてではないと思え世界が広がりましたし、一方、日本一を目指して頑張る人へのリスペクトも生まれました。
もちろん、楽しいことばかりではないけれど、選択した道を自分なりに一生懸命生きることが結果、今に活きていると思います。
例えば、世界にチャレンジしたいと思った時、バスケが上手なだけではだめで、英語もできないとコミュニケーションがとれません。そうした時に、英語を勉強しておいてよかったと感じました。
今面倒だなと思うことが、自分たちの武器になるかもしれないので、目の前のことに向き合うことが大切だと思っています。

――これまでの人生におけるターニングポイントはいつですか?

29才で会社を退職した時ですね。それまでは、会社員をやりながら趣味程度で3×3をして、日本の大会でMVPにもなりました。その時、これ以上のチャレンジをするのであれば、世界だなと思ってチャレンジを決めました。
今は、年齢ってただの数字でしかないと思いますが、その時は、30歳を目前に「このままでいいのかな」「体を使った仕事って今しかできない」じゃあ、今動き出そうと思って退職しました。
でも、その時、世界で戦っているチームがなかったので、自分でチームを作りました。

――これまでの安定的な生活がなくなることに不安はありませんでしたか?

もちろん会社員の頃と比べたら、生活は一変したけれど、お金で不安になることはありませんでした。お金は目的を達成させるための手段。夢があることが一番尊いですし、みんなに共感してもらえる夢ならお金はついてくると思っていました。
チャレンジしないで後悔する方が失敗で、チャレンジし続ける限りは失敗はないと思っています。

――この1年振り返ってどうですか?

最高に楽しいです。世界にチャレンジして優勝して、でも、お金がなくてワールドツアーにチャレンジできないかもというハラハラもあって、そんな感情のコントラストも含めて、ワクワクした人生を送れているなと思っています。

――今、幸せですか?

幸せです。世界にチャレンジすることって誰もやっていないことで、どこまでできるかわからない気持ちもありました。それをサポートしてくれた仲間がいて、よりよくするためのアドバイスもしてくれました。
そういう話をすると、チャレンジすることが大切と聞こえるかもしれないけれど、自分が幸せになるためにどうしたらよいか知っていることが幸せだと思います。
生徒の中に、「高校で夢をみつけて、見つけた夢をかなえることが夢」と書いてくれている子がいましたが、夢って探し続けることや信じることが大切で、変わることももちろんあります。
どういう人と生きていきたいか、どういう時間を大切にしたいかと思うことを大切にしてほしいです。

――全国の子どもに向けて一言お願いします

好きな気持ちを大切にしていきましょう!

3年3組 古澤拓也選手

 「継続より連続性」

――子どもの頃に夢中だったことは何ですか?

スポーツが好きで、ずっと野球をしていました。甲子園に出るのがずっと夢だったけれど、小6の時、脊髄の病気で車いすになりました。
甲子園に出る夢が途絶えて、車いすになったことで出来ないことが増えていた時期である一方、パラスポーツというチャレンジしてみたいものに出会ったのがちょうど中学生の時です。自分にとっては、負の感情と将来に向けたワクワクが入り混じった時期でした。

――甲子園の夢が途絶えたときはどのようにして乗り越えましたか?

これまでずっと持ってきた夢が叶わなくなったので、乗り越えるには本当に時間がかかりました。
乗り越えられたのは、新しく自分が「かっこいい」と思えるパラスポーツに出会えたこと、また友達から「甲子園にでるのもすごいことだけど、パラリンピックでメダルをとるのもかっこいい」と言ってもらえたことが大きかったです。なので、小学生の卒業アルバムには「パラリンピックでメダルをとる」と書きました。何の競技をするか決まっていなかったので、競技は書いてません笑

――夢は車いすバスケでパラリンピックに出ることに変わったということですか?

いや、バスケがうまくなりたい、大人になってもやりたいなとは思っていましたが、それは仕事とは別で、どんな仕事がしたいのかなと迷いながら高校受験をしていたので、夢というような夢はその時はなかったです。

――これまでの人生の中でターニングポイントとなった時期はいつですか?

大学に編入した頃だと思います。もともと、大学に進学したのも、競技以外で自分に残るものがほしいからという理由でした。大学に入学した時期は、ちょうどU23に選ばれたことも重なり、遠征など代表の活動も忙しくなり、競技と勉強を両立できませんでした。
このまま大学を辞めるか、それとも続けるかを考えた時、「大学を卒業する+競技との両立をする」という決断をしました。代表のコーチとも、代表レベルのトレーニングしながら学業と両立することを約束し、その時自分の中で何をしたいのかが固まったと思います。
もちろん大変だったけど、できない理由を探すより、本気で何かをしたいと思うことが大切だと思いました。

――その選択から学んだことは?

結果よりも過程が大切ということです。自分がやりたいと思って選択した環境からは、友人や知識、経験など過ごす日々の中で多くのことが身に付いたと実感しました。
3日坊主という言葉がありますが、僕は、1日休んでもそのあとまた再開して、細くても長く続けることが大切だと思っているので、自分の中では「連続より継続性」ということを大切にしています。

――今後の目標はありますか?

2つあって、1つは世界で通用するような選手になりたいと思っています。まずは、ロスパラリンピックを目指したいと思います。
もう1つは、車いすバスケを普及させることです。車いすバスケに触れられる機会を全国で多く作りたいと思っています。そして、子どもたちに自分が経験してきたことを伝えていきたいと思っています。

――全国の子どもに向けて一言お願いします

好きなことを夢に!

3年4組 丸山弘毅選手

「やりたいことはリスクを考えず全力で!」

――子どもの頃に夢中だったことは何ですか?

中学生の時、特に夢はありませんでした。周りと同じ生活もしていたし、バスケが好きだったので、バスケ部に所属して、他のみんなと同じようにプレーもしていました。ただ日常を過ごしていたという感じです。

――車いすバスケをはじめたきっかけは何ですか?

自分でやってみようと思ったことです。実は中学1、2年生の時に母から車いすバスケを勧められたことがあったのですが、その時は「車いすバスケはバスケじゃない」と思って断りました。
でも、高校に進学する時、「高校レベルになると、自分の体ではみんなと同じようには動けない。でもバスケは続けたい」と思って、自分で車いすバスケを選びました。井上雄彦さんの「リアル」を読んで、かっこいいと思ったこともきっかけです。

――これまでの人生の中でターニングポイントとなった時期はいつですか?

公務員となって安定した生活を捨てて、バスケを続けるために今の会社に入社したことですね。もともと地元の市役所で働いていたのですが、公務員になった理由は、バスケと両立できそうだからというものでした。
自分の勝手なイメージで、公務員=定時で帰れるというものがあったので、練習時間もとれるなと思っていました。ただ、やっぱり働くってそんな甘いものではなくて、残業が続いて、練習ができない日々が続いた時、ふと「バスケをするために公務員になったのに、今は仕事でバスケができていない。何のために仕事をしてるんだろう」と思いました。そこで、自分にあった環境を探す中で、今の会社に出会い、入社させてもらいました。

――その経験から学んだことは何ですか?

その時やりたいと思ったことはリスクとか考えず行動に移すことが大切だということです。
実は、こうしておけばよかったなぁと思うことがもう1つあります。2020年の東京パラリンピックが延期になったその1年です。
その1年もっと練習していれば、もしかしたら代表入りできたかも。代表でメダルを獲得していれば、今の自分の人生も変わったかもと後悔しています。でも、その悔しさ、もどかしさは、今、自分のやりたいことに貪欲に向かう糧となっています。

――今後の夢は何ですか?

ロス大会で日本代表として出場することです。パリパラリンピックを目指してきた4年間の夢が途絶えたばかりで気持ちの整理もまだついていませんが、今日皆さんと出会えて話し、伝えることで自分の決意として頑張りたいと思います。
あとは、子どもの時からずっと「誰かに頼られる人になりたい」と思っているので、理想の自分に近づけるように頑張りたいと思います。

――全国の子どもに向けて一言お願いします

今、やりたいことを全力でたのしく!

<参加した生徒の感想>

  • 自分の好きなことを見つけて、それを夢にできるようにしていきたいと思いました。
  • 生き方の可能性は無限にある。可能性を狭めないという言葉にすごく感動しました。 夢があることは素晴らしいことだと思いました。
  • 夢について考えたことがなかったけど考えてみて可能性がたくさんあって気持ちが明るくなりました。
  • 話を聞くまで高校で夢を見つけないとなと、思っていたけど選手が夢を見つけたのは29歳というのを聞いて、焦らなくてもいいんだと思い高校で必ず夢を見つけるというのにとらわれず、ただ自分が幸せ、楽しそうだと思う方に進んでいったらいいのだと学びました。
  • 自分が諦めかけていたことも今ならできそうと思えたし、モチベーションが上がりました。
  • 今日の話を聞いて、夢や目標について考えることができ、選手の生き方から自分も夢や目 標に詰まったりしたら、今日のことを思い出して諦めずに実現に向けて頑張りたいなと思いました。
  • ゆっくりでも良いから夢を見つけていこうと思った。やりたいことにまっすぐ向き合いたいなと思いました。
  • なにかに怖気付いたり、人に流されたりせずしっかりと向き合って、自分のやりたいこと、挑戦 したいことを夢や目標にしたいと思いました。

<講師を務めたアスリートの感想>

  • 篠山竜青選手
    中学生と向き合って将来を一緒に考える経験は今までなかったけれど、今回の授業を通して、自分の現在から10年後を考えるきっかけになりました。何かヒントになればと思い、講師として参加しましたが、何かを与えるだけでなく、自分も色々なものをもらって刺激になりました。
  • 桂葵選手
    子どもたちが純粋に夢についてのキャッチボールを楽しんでくれていたのが印象的でした。みんなと未来を考えることで夢の交換をしたような感覚です。夢は生涯を通じて1つではない、探していくもの、変わっていくものだと思うので、そのきっかけとなる瞬間に立ち会えたことがうれしかったです。
  • 古澤拓也選手
    夢について記入するシートを書くことよりも、、1人ひとりが自分と向き合おうとしている姿勢が印象に残っています。その中で、10年先に「また夢を見つける」と書いていた生徒がいて、将来的にも夢を見つけることもまた夢ということを自分も気づくことができました。
  • 丸山弘毅選手
    「夢は自分もなかった」という話をする中で、「今後大きな目標を持ちながらも、小さな目標を積み上げていく」と書いてくれている子がいました。話し合いながら見つけようとしてくれていたことが自分にも刺激になり、今日会った子どもたちが見てくれていると思い、自分の目標に向け改めて決意が固まりました。

「DREAM HOOP PROJECT」って?

「夢」は「輪」のように終わりがなく無限だということを伝えていきたいという想いを込めたプロジェクトです。バスケットボール選手による授業であることから、バスケットボールのリング「HOOP」とかけて、このプロジェクト名としました。
バスケットボール選手にこれまでの人生の選択やその選択に至った想いを話してもらうことで、夢や目標を持つきっかけづくりとなってほしいと考えています。
当社は、これからもバスケットボール界と共に、このプロジェクトを全国各地で開催していきます。

当日の様子

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