日米通算2000本安打や、プロ野球史上最年長43歳11カ月で400二塁打を達成など、数々の記録を残した元プロ野球選手福留孝介氏と、バルセロナ、アトランタ、シドニーと3度のオリンピック出場を果たし、アトランタでは福留選手と一緒に日の丸を背負った「ミスターアマ野球」こと杉浦正則氏との特別講演会を開催。
冷めやらぬWBCの感想や、日本生命野球部時代のエピソード、人生において大事にしていることを伺いました。

目次

福留氏が選ぶWBCのMVPは?

  • 杉浦:フロリダを帯同しての感想は?
  • 福留:WBC予選最初のタイムオーストラリア戦と、その後フロリダに行ってからの準決勝、決勝を解説させていただきました。決勝の時に大谷君がトラウトとの6球ですかね? 皆さんがテレビで、すごくいけって言ってる時に、僕は、、、全く状況の見えない通路にいました。最後にトラウトが空振りをして、三振になった。大谷選手が帽子を投げ、喜んでいる。そのシーンは、はっきりと見えていません。(笑)
  • 杉浦:そういった中の、孝介のMVPは?
  • 福留:今回のチームのMVPを選ぶとなると、やっぱり、ダルビッシュ投手なんですね。今回、アメリカのメジャーの選手が、初日の宮崎の合宿から参加したのは、ダルビッシュ投手だけでした。ダルビッシュ投手がいろんな若い選手をまとめて、やっぱり、WBCに選ばれるチームの選手というのは、各チームで主力を張っているので、みんな自信を持ってやってるんですけど、、全員が違うところを向くのではなく、同じ方向に向いていて、昔みたいに厳しさじゃなくて、(ちょっと僕から見たら仲良すぎないかっていうぐらい)、わきあいあいとした雰囲気を、彼が作って、この大会に臨んで。本人としては、調整をする時間っていうのを取ることもなく、聞かれたことに対して、一つ一つ丁寧に時間を割いて、それくらい自分を捨てて、このチームのためにやってくれたということで、ダルビッシュ投手が僕の中ではMVPです。

日本生命野球部時代のエピソード

  • 杉浦:僕、当時、こんな若いスターが来るなんて思っていなかったです。周りの選手も思っていませんでした。ドラフトが終わって、1月。彼が、まだ高校生なんですけども、練習参加してたよね。

  • 福留:してました。
  • 杉浦:その時に、1月末かな、全日本の高校合宿があるという事で、2月に、ちょうどアトランタオリンピックの候補選手たちが、2月にフロリダで合宿をするという事で、メンバーに選ばれたけど、どんな気持ちだった?
  • 福留:はい。いや、社会人から選ぶ全日本の代表に選んでいただいて、その中で行ったんですけど、当時は18歳ですよね。その時に、何だこのおっさんらって。本当に、それぐらいな感覚で、僕はなんか、大丈夫なのか、一人だけ場違いなところ来たなって、思いながら行っていて、でも、あの時は、本当に、何してたかよく分からなかったです。
  • 杉浦:そういう中で、ちょうどフロリダの合宿で、ミネソタのツインズと練習試合をしたんですね。その時初出場、初打席、弾丸ライナーのホームラン。なかなか、18歳で、しかもメジャー相手に、ホームラン。私自身、鳥肌たったなっていう。あの時の球場で、放送入ったりして、覚えてる?
  • 福留:なんか言ってましたよね。あの時、僕がちょうど打った時に「彼はまだ18歳だ」っていうね。
  • 杉浦:英語、分かった?
  • 福留:全然分かんないです。後から聞きました。
  • 杉浦:やっぱりそういうね、星の下に生まれてるなっていうのは、すごく感じました。

  • 杉浦:孝介、プロの意識持ってるな、というエピソードがあって、準決勝で、ちょうどアメリカ戦で勝ちました。次は、決勝で金メダル、金か銀かになるゲームだったんですね。彼が、チームのメンバーの、ちょっとサブに回っているメンバーと、話をして、孝介、よかったねって言われた時に、何て答えた?
  • 福留:何か言いましたか?
  • 杉浦:その言葉が、「僕、ブルーです。その試合、打てなかった。準決勝。打てなくて、ブルーです。」やはり、プロになる選手って、自分の成績の中で、っていうのはあるんですけど、チームが、よくないじゃないですか。しかも、サブで、みんな一生懸命、支援してくれている中の、サブの選手に対して、みんな喜んでいるところで、僕がブルーです。だんだん、テンション落としてしまう、というところがあったので、彼に言ったんですね、一発勝負の世界で、勝つことが一番大事。その次に自分の成績だよと。
  • 福留:僕、それと、杉浦さんから言われて、すごく覚えているところがあるんですよ。「孝介、お前がこの3年間で、俺は3年ぐらいで、どうせプロに行くんだ、という、こういう簡単な気持ちで、プレーをしていると、同じチームにいる周りの選手というのは、そういうことに対しては、誰もついてきてくれない。誰もお前のことを助けてはいけない。だから、その3年間で、お前が行くのは自由だけども、その気持ちだけは絶対に持たないで、3年間やれよ」というのを杉浦さんには言われて。こうやって言ってもらえるというと、言われる時点で、僕自身、そこまでそんな気持ちはなかったと思うんですが、それを言われる、そういうふうに見られるということは、自分の態度がそうなんだ。自分のプレースタイルがそうなんだ。これは、改めなきゃいけないな。これを、他の人が、チームメイトが周りが見たときに、どう思うんだということを、自分でしっかりと改めて、やっていかなきゃいけないなと。オリンピックが終わってから、杉浦さんに言われたその言葉で、3年後にプロは行けなくてもいいや、プロを考えるのはやめようと、少し思いましたかね。

  • 杉浦:私が言っていたのは、3年間、腰掛けで、ここにいて、プロに行くんだ、という気持ちだったら、たぶん、無理だよ、という話をしました。しっかり活躍して、実力をつけていきなさい、という話を彼にしたかなと思っています。

日本生命の特別コーチ就任への想い

  • 福留:今、日本生命の特別コーチをさせていただいているんですけど、逆に言えば、僕は今、若い選手から教えてもらっている状態です。なので、今の若い選手たちが何を考えて、どういうことを望んでいるのか、どういうことをしていきたいのかを、今、僕は若い選手たちから教えてもらって、僕がやらせてもらっているという、状態です。

これまでの人生で大事にしてきたこと。

  • 福留:絶対に譲らずにやってきたことは、必ず自分で決めるということ。自分で決めたことに対しては、誰も責任を取ってくれないですし、人に決められたことに対しては、その人が責任を取ってくれるか、ということはまずない。これから自分の決断が間違っていたら、この責任は自分が取れる。なので、何かを決めるというときには、やっぱり自分というものを信じて、決めていただきたいなと思います。
  • 杉浦:私も同じで、「決断は自分の言葉で。」もしダメなことでも、しょうがないな、自分の決めたことだから、次に進められると思うんです。人の言葉をもとにして喋ってしまうと、どうしても人を恨んでしまう、前に進めない、後悔しかない、そういうような人生になると思いますので、決断は自分の言葉でされた方がいいかなと思います。

Copyright © 日本生命保険相互会社
2023-779G,コーポレートプロモーション部