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バスケットボール
車いすバスケットボール

2025年11月28日(金)「DREAM HOOP PROJECT」を兵庫県神戸市で開催!

バスケ選手が講師となり、これまでの経験を伝えることで、夢や希望を持つことの大切さや将来について考えるきっかけづくりを行っています。
今回は、兵庫県神戸市立神戸生田中学校の2年生を対象に開催しました。
神奈川VANGUARDSキャプテン前田柊選手、車いすバスケットボール日本代表・神奈川VANGUARDS所属の丸山弘毅選手、元バスケットボール女子日本代表三好南穂さん、神戸ストークス クラブエバンジェリスト中西良太さんの4名に講師を務めてもらいました。
当日開催したイベントの様子を本記事にて紹介します。

2年1組 丸山 弘毅さん

「どんどん自分の好きなものを発信していって」

――車いすバスケットボールを始めたきっかけは何ですか?

実は中学1年生までは、バスケ部に入り、“車いすバスケ”ではなく、“バスケ”選手として、みんなと一緒にプレーしていました。義足でバスケをするのはきつかったけれど、バスケ自体は楽しくて好きでした。
高校でも部活でバスケを続けたかったのですが、プレー中に接触した時に、高校生の体格では自分がけがをしてしまう可能性だけでなく、義足で相手にけがをさせてしまう可能性もあり、バスケ部に入るのが難しいなと感じていました。それでもバスケを続けたいと思い、何があるんだろうと考えていた時に、たまたま車いすバスケを題材にした漫画に出会い、興味をもって始めたのがきっかけです。

――小・中学生の頃の夢は何でしたか?

中学生まではあまりこれといった夢は見つかっていなくて、とにかく日常の色んな事が楽しかったので、興味を持ったことを色々やっていました。

――プロになろうと思ったきっかけはなんですか?

高校卒業した後もバスケを続けたいけれど、仕事もしなくてはならないので、公務員だったら土日休みだから試合に出れるし、平日も定時に帰れて練習の時間が取れると思い、公務員になりました。しかし、実際は甘くなくて、残業などでなかなか思うように練習の時間が取れず、ふと「バスケをするために公務員になったのに、今は仕事でバスケができていない。何のために仕事をしているんだろう」と思いました。
そこで、思い切って公務員をやめてバスケを業務の1つとして取り組める環境に飛び込みました。公務員時代は地元の長野にいましたが、より上を目指すために上京をして、神奈川のチームに移籍をしました。

――壁にぶつかった時期はありましたか?

日本代表になるために長野から出たのに、上京して3、4年間代表候補にすら選ばれなかったときは、「何のために上京したんだろう」と苦しかったですし、2020年の東京パラリンピックが延期になったその1年は、その1年でもっと練習していれば、もしかしたら代表入りできたかも、と後悔がありました。

――そこからどのように乗り越えたのですか?

今の状況に悩んでふてくされているだけだとそこで終わってしまうけれど、もがき続ければその先の結果を変えられる可能性があると信じて頑張りました。
そして、ちょうど東京2020パラリンピックが終わって、次のパリ2024パラリンピックに向かうときに、アジア予選で日本代表には選ばれることができました。
しかし、「次は自分がパリで代表になるんだ」と頑張りましたが、予選で負けて出場は叶わず、この1年間も本当に苦しかったです。それでも、次はロス2028パラリンピックがあるから、このまま落ち込んでいたらいけないと、気持ちを奮い立たせて目標を変えて頑張りました。

――丸山選手の今の夢を教えてください。

ロス2028パラリンピックに出場することです。

――皆さんに一言お願いします。

自分の夢を発表するのは大人の僕でも勇気がいるから、授業でみんなの前で自分の夢を言葉にしている姿がとても素敵だなと思いました。
どんどん自分の好きなものを発信していって、夢がある人はそれに向かって、夢がまだ見つかっていない人も好きなことや興味があることに打ち込んで色んなことにチャレンジしてほしいです。

2年2組 三好 南穂さん

「今の自分にできることを全力で」

――中学校の夢は何でしたか?

バスケットボール選手です。

――いつ頃からなろうと思ったのですか?

小学校高学年のころくらいです。バスケをしていたから、単純になりたいなと思っていました。

――小・中学校時代に頑張ったこと、それが今に生きたことはありますか?

勉強ですね。二つのクラブチームを掛け持ちしながら、勉強も真面目に取り組んでいました。
私はポジションがポイントガードという、みんなのポジションを把握しながら指示を出す司令塔のような役割だったので、考え方や視野の広げ方などは勉強を通じて身についた点もあったと思います。

――バスケ選手以外にも夢はありましたか?

中学にあがって徐々に現実を見始めて、バスケ選手になれなかった場合のことも考えて、勉強を頑張っていました。良い高校・大学に進学してお金持ちになって良い暮らしがしたい、というのも考えていて、バスケ選手と金持ちの両軸でした。

――バスケ選手になりたいと思って、夢をかなえる為に大切にしてきたことは何ですか?

準備することですね。
シュートを打つポジションだったので、試合前は何本もゴールを打って自信をもって試合に出れるように準備をしていました。
試合でシュートを決めるためには無心で打つことが大事なので、何も考えずに打ち続けました。
プロになってからも、一番多い時は一日一万本のシュートを打っていました。

――壁にぶつかったことは?

高校1年生の時に前十字靭帯損傷のけがをしたときです。
そのけがで約1年間バスケができなくなり、歩けなくて車いす生活をしていました。
私が進学していた桜花学園は、優勝が当たり前の強豪校で、そこで活躍したいと胸を高鳴らせていた入学式の直前にけがをしてしまったんです。

――そのときの心境はどうでしたか?

目の前が真っ暗になりましたね。なんで自分が・・・という気持ちでした。

――そこからどのように壁を乗り越えましたか?

焦る気持ちもあったのですが、今の自分に何ができるのか?というのを考えました。
ひざのけがなので上半身は使えるから、座りながらシュートを打つ練習等、今の自分にできることを全力でやっていました。そして、その時の練習が自分の武器となる3Pシュートに繋がり、その武器があったからオリンピックに出ることができました。
自分がシュートが得意だと気付いたのは、けががあったからです。1年間バスケがやれなかったのは辛かったたけれど、あのけがが無かったらもしかしたら自分は今ここにいないかもしれないとも思っています。

――三好さんの今の夢はなんですか?

6月に出産をしたので、プライベートの育児と、スポーツの仕事を両立することです。

2年3組 前田 柊さん

「夢と言われると大きく感じて、悩むこともあると思うけれど、一つずつ階段をおろしてみると、今自分が何をしたらよいかが見えてくる」

――小・中学校の頃はどのような子どもでしたか?

小学校3年生のころから陸上をやっていて、純粋に走るのが好きだったことに加えて、やればやるほどタイムが良くなってくという結果が目に見えることに夢中になっており、自然と陸上選手になりたいと思っていました。

――陸上以外にはまっていたものはありますか?

走るのが一番好きでしたけど、とにかくスポーツが好きだったので、ゴルフをやってみたりと色んなスポーツをやっていました。

――車いすバスケを始めたきっかけは何ですか?

僕が車いすユーザーになったきっかけは、21歳のころのスポーツ事故でした。
なので、20歳過ぎるまでは車いすに乗ったこと無いし、バスケもやったことありませんでした。
当時は急に生活が変わったことにショックを受けましたが、スポーツが好きだったから車いすでもできるスポーツを何かやりたかったのと、テレビで見てかっこいいな!と思ったので車いすバスケを始めました。

――突然スポーツ事故にあって、当時の心境はどうでしたか。

サーフィンの事故だったのですが、病院に運ばれて検査を受けてから医者に「もう歩けない」という事を告げられた時は、理解が追い付かないほどショックでした。
でも、リハビリをするうちに出来ることがどんどん増えて、だんだんそれが楽しくなって、「もっとあれができるようになりたい!」という気持ちがわいてきたのでずっと落ち込んでいるような暇はなかったです。

――夢をかなえるために大事にしてきたことは何ですか?

自分自身、死にかけるような事故を経験したので、人生1回だから後悔したくない、という思いがありました。チャレンジがあったら挑戦する、という気持ちでいます。
そして、もう一つは周りの人を大切にするという事です。家族や友達など、夢を支えてくれる人や応援してくれる人のために恩返ししたいという気持ちは特に大切にしていました。

――壁にぶつかったときの乗り越え方を教えてください。

事故にあうまでは、車いすに乗ったことすらなかったのに加えて、バスケットボールの経験も全くなかったので、初めて車いすバスケをやったときに何もできなくて絶望したのを覚えています。
しかし、それが逆に、「できないから、もっとうまくなりたい」と思うきっかけにもなりました。
車いすバスケをしていて壁にぶつかったり挫折を感じた時に、「何のために今自分は車いすバスケをやっているんだろう?」と振り返ることで、「楽しむために始めた」という自分の原点に帰ることができ、「もっと楽しんでやろう」と自分の気持ちを上げて、もう一度頑張ることができました。

――前田選手の今の夢を教えてください。

今所属している、“神奈川VANGUARDS”というチームの天皇杯4連覇という目標に加え、個人の目標としては、日本代表への選出とパラリンピックへの出場を目指しています。

2年4組 中西 良太さん

「コツコツと何かを継続するのはとても難しいけれど、とても大事」

――バスケを始めたきっかけは何ですか?

高校2年生の時です。実は、小学校3年生から高校1年生まで野球をしていました。
小学校の時に阪神タイガースの試合をみて、当時はプロ野球選手になりたい!と思っていました。
高校も、甲子園に出たいという思いから、出身の兵庫県ではなくスカウトを頂いた高知県の高校に通っていたんです。しかし、高校1年生の冬に高校野球をやめることになったのがきっかけでバスケに出会いました。

――何があったんですか?

けがでした。野球を始めたときからピッチャーをしていたのですが、体ができていない状態での練習がたたって、高校に入って悪化したんです。医者からは、手術とリハビリをして、治るまで1年くらいかかると言われたのですが、それでは高校3年生になってしまうので、そこから甲子園を目指すことができるのか?プロは無理かも、野球やりたくない・・・という考えになって辞めてしましました。

――すぐに決心できましたか?

最初はとても戸惑いましたが、正直自分はけがを言い訳に辞めたと思っているところもあって、当時はラッキーだとも少し思っていました。

――ラッキーですか?

入学した時に、周りの選手を見て、「自分は野球でプロになれないかも」「周りがこんなに上手で自分は試合に出れないかも」という思いが先に来たんです。
けがを理由に辞めたら楽になれると思いました。
その時に、両親や友人・先生など周りの人に相談しているうちに、当時の高校のバスケ部の先生が「野球辞めるならうちにおいで、最初は遊び感覚でも良いから」と誘ってくれたんです。

――その時どうでした?

バスケ自体は好きだったけど、今更始めて意味あるの?と思っていました。
でも顧問の先生が誘ってくれたこともあり、プロ野球選手をあきらめたけれど、ここで逃げたら何でもすぐに諦める人になってしまうのではないか、と思い、チャンスが舞い込んできたんだからまずはやってみようと考えてバスケを始めました。

――始めた当時どうでした?

最初は「身長の高い素人が入ってきた」という感じでしたが、みんなが温かく迎えてくれて、朝から晩まで練習に付き合ってくれたので、バスケのことがとても好きになりました。
できないことができるようになるのが楽しくなってきて、高校3年生の時に日本代表の候補選手に選んでもらいました。そして、強化合宿で東京に行って、2回目の挫折を味わうことになりました。

――どんな経験ですか?

それまでは、四国のバスケのレベルしか知らなかったので、バスケは好きだけど、全国にどんな選手がいるのか全く知りませんでした。自分より身長もスキルも上の選手ばかりで、始めて1年しかたっていない自分が一番下手でした。
1年で代表候補に選ばれたのはすごいかもしれないけど、そこに行ったら経歴なんて関係ないので、そこで2回目の挫折を感じましたし、同時に「バスケをもっと頑張らなきゃ」という気持ちになりました。

どのように乗り越えましたか?

高校卒業した後の大学もレベルが高くて苦しい時はたくさんありました。
それでも、「何か壁にぶつかるときは成長をする時。壁にぶつかるのは悪いことではない。壁にぶつかったのなら、その乗り越え方を考えて、成長したらまた次の壁が現れるだけ。」というメンタルで、毎日「自分ができることはなんだろう?」と考えて、「声を出す」「先輩のサポートをする」「地道な練習を頑張る」と目標を決めて取り組んでいました。
壁にぶつかったら乗り越えて・・・をひたすら繰り返すことで、大学入った当初は自分が一番下手で試合にも出してもらえなかったところから、大学3年生で一気に試合に出始めて、自分もプロのバスケットボール選手になりたいなと思いました。

コツコツやっていった先に変わるきっかけがあるんですね。

コツコツと何かを継続するのはとても難しいけれど、とても大事です。僕が高校2年生からバスケを始めてプロになれたのは、毎日自分に課題を課して、コツコツ取り組んできたからだと思います。
人と比べてどれくらいの努力か?というのは物差しが違うからわからないけれど、自分自身で「できることは全部やってきた」と言い切れるくらいの自信はめちゃくちゃあります。
だから、プロに入ってからも、自分の役割って何だろう?チームの為に何ができるのだろう?と常に考えて地道にやってきました。
そのことが、14年間もプロを続けられた理由だと思うし、29歳の時に日本代表に選ばれたことに繋がったと思います。

中西さんの今の夢はなんですか?

高校2年生の時に誘ってもらったのがきっかけで、そこから幸せなバスケ人生だったなと今振り返って思います。バスケに成長させてもらったし、バスケに感謝しているので、バスケ界に少しでも貢献したいです。

皆さんに一言お願いします。

夢や目標があっても、そこにどう進んでいいかわからない事があるかもしれないですが、まずは結果やゴールを意識しすぎず、そこのプロセスを大事にしてほしいです。
そうすることで、おのずと結果は伴ってきます。自分ができることをコツコツやる。
でも、やり方に悩むときはあるので、その時は周囲に相談したり、自分が信頼できる人に頼ることも大事です。そして、自分が信頼している人から信頼してもらえるよう、普段から立ち振る舞うのも大切です。プロセスを大事にして今自分がもっている夢や目標に向かって頑張ってください。

参加した生徒の感想

  • 自分の夢についてちゃんと向き合って考えられました。自分も選手のように、できない理由を探すのではなく、ポジティブに考えられる人になりたいと思いました。
  • 可能性はたくさんあると信じて、選択肢を狭めずに広い視点で夢や目標に向き合っていきたいと思いました。
  • 自分の将来の夢はぼんやりとしか考えていなかったけど、今回のイベントでしっかり目標を掲げて行動することの大切さを学びました。
  • 夢じゃなくてもなにか目標を掲げることで、自分のやりたいことやなりたい姿を見つけられるという話を聞いて、小さなことでもまずは継続していこうと思いました。

「DREAM HOOP PROJECT」って?

「夢」は「輪」のように終わりがなく無限だということを伝えていきたいという想いを込めたプロジェクトです。バスケ選手による授業であることから、バスケのリング「HOOP」とかけて、このプロジェクト名としました。
バスケ選手にこれまでの人生の選択やその選択に至った想いを話してもらうことで、
夢や目標を持つきっかけとなってほしいと考えています。
当社は、これからもバスケットボール界と共に、このプロジェクトを全国各地で開催していきます。

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